ナンシー関のいない20年
週刊文春が「ナンシー関 没後20年特集」を組んでいた。
思わず購入。
何を隠そう、私が著名人の死で最もショックを受けたのが、ナンシー関氏である。
著書も多数所有しており、もうその文体に会えなくなるかと思うと、気が気ではなかった。
そんな私だが、「ナンシーが生きてたら、何て言うかな」というフレーズを聞くたびにウンザリする。
要するに、聞き飽きた。
亡くなってから、ナンシー信者がずっと言い続けてる。
「昭和のスターがまた一人この世を去った」というフレーズ並みに聞き飽きた。
この表現にもウンザリだ。
あと、メディアでテレビ批評する人たちのことを片っ端から「ナンシーの足元にも及ばない」などと全否定するのも、「思考停止してんのか」と思う。
週刊文春にはライター能町みね子氏のコーナーがある。
今回の号は『踊るさんま御殿』のとある回についての記述であった。
明石家さんまの茶化すような容姿差別、外国人差別に対して、その都度ジャンポケ斎藤が絶妙な塩梅でたしなめていたらしい。
彼女の視点の鋭さとともに、ジャンポケ斎藤の芸人としての力量を感じさせる記述であった。
優れた書き手であると思う。このコーナーを読むたびにそう思う。
ナンシー関の文体に酷似したコラムニストAというのもいる。
私は、似た文体であろうが、内容が面白ければそれでいいと思ってて、Aの文章も決してレベルが低いものではなかった。
ただ、私は発見してしまうのだ。
ナンシー関が工藤静香の描く絵を「田舎の喫茶店に飾ってあるような絵。ママが描いた」と表現したことがあるのだが、後年、Aもそう表現してるのを。
あんときゃ白けちゃったなぁ。。
ナンシー関は秀逸なフレーズをいくつも残しているが、その中でも私が一番「スゴイ!」と鳥肌が立ったものを紹介したい。
元祖プッツン女優の石原真理子がトーク番組にゲスト出演したときの、極めて「妙」な感じをこう表現したのだ。
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「財布から葉っぱを出して何か買おうとしているみたいだった」
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