1984年の歌謡曲を堪能す

『1984年の歌謡曲』を読了。

いや~、中身が濃かった。
これをシリーズで出されると、私、全部買ってしまうんでないかい?

でもやっぱ1984年の楽曲って特にキラキラしてる。
別にこれを読んだから言ってるワケじゃないよ?

著者のスージー鈴木氏は、本書の中でこんなことを言ってる。
84年とは、日本の大衆音楽が、最も都会的で、最も洗練されていて、そして、最もおしゃれだった時代ではなかったか。適度に軽く、適度に重い。適度に洋楽的で、適度に邦楽オリジナル。
・・・もう、その表現につきると思う。

ささ、他にも印象的だった部分を抜き出し、私なりの見解も付け加えさせてもらうことにしよう。

何がとんでもないかというと、作曲家の人選と、曲のタイトル=楽曲のコンセプトを決定する、要するにプロデューサーの役割を、20歳にも満たない女性アイドル歌手が務めあげ、結果、オリコン年間9位の大ヒット曲を生み出したということが。」(中森明菜北ウイング』)

⇒明菜がこの曲のタイトルを決めたことは知っていた。確か、元のタイトルは『ミッドナイトフライト』だったはずだ。悪くはないがインパクトに欠ける。今となっては『北ウイング』で大正解である。
彼女が作曲家(林哲司氏)を自ら指名したのは知らなかった。
要するに『北ウイング』は、明菜なくしては絶対生まれることのなかった曲なのだ。
私は、明菜にとっての『北ウイング』を、山口百恵にとっての『横須賀ストーリー』だと位置づける。歌手として一皮むけた曲だからである。
歌的にはツッパリ路線と純愛路線を繰り返していた明菜だが、そのままそれを続けていけば飽きられる。『北ウイング』は、「新生 明菜」としてのいい突破口となった。
偶然だが、『横須賀ストーリー』も、山口百恵が阿木燿子&宇崎竜童夫妻に制作をお願いしたのだという。
そして、山口百恵にとっての『プレイバックPart2』は、明菜にとっての『飾りじゃないのよ涙は』である。もう、なんちゅーか「モノにしまくってる」「サマになりまくってる」といったカンジ。完成形というか集大成的なものを感じる。
『北ウイング』も『飾りじゃないのよ涙は』も、1984年の楽曲。
ヒットを連発しただけじゃなく、明菜がアーティストとして大いなる飛躍を遂げた年・・・それが1984年なのである。

・・・って長いわッ! 語り過ぎッ!
てなわけで、続きは次回。こんな調子でコメントしまくりますッ。

※関連記事…幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 1984年のスターとその楽曲たち

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