「海老蔵ブログ更新しすぎ」批判に対する私の見解
「批判」というよりも「不思議」なんじゃないかなー。
奥さんが亡くなったばかりなのに、何度もブログを更新することが。
全く規模は違うが、同じブロガーとして、私の経験を語らせてもらおう。
私の身内も、病でかなり危ない時期があった。
その間は、ブログと向き合う心の余裕が一切なかった。
というか、ブログのことが頭からすっかり消えてた感じ。
そもそも私は、思い出話として過去の辛い経験をブログに記すことはあっても(それもほとんどないが)、現時点での個人の辛い思いをブログで吐露する気はない。
読者を、重苦しい気分にさせたくないからだ。
ただ、仮に私がそういうのも全てさらけ出すタイプのブロガーだったとしても、あの状況下で、はたしてブログを何度も更新できただろうか。
というのも、ブログは人様の目に触れるものなので、それなりに文章の体裁を整えなければならない。
その余裕がなかったと思うのだ。
どうしても文字にして思いを吐き出したいのなら、チラシの裏にでも「辛い」と何度も書き殴っただろう。
海老蔵も悲しくてたまらないはず。
しかし彼は役者であり表現者だ。
妻の亡くなった翌朝でも舞台に立ち、午後も舞台に立ち、その合間で、気丈に会見まで行った。
悲しみの中でも、気持ちを切り替えないと、成り立たない商売なのである。
ブログも、人様への「表現」のスタイルなので、自然と彼なりの「スイッチ」が入るのではないか。
素人の私みたいに、「文章の体裁を整える余裕が~」云々のレベルにない。
自然とスイッチが入る。
そして思いの丈を吐き出し、心の安定をはかっているのではないか。
と、私はこのように考えるのである。
ただ、子どもといる時は、スマホから目を離して、もっと子どもを見てほしい。
これからは特に、ね。
奥さんが亡くなったばかりなのに、何度もブログを更新することが。
全く規模は違うが、同じブロガーとして、私の経験を語らせてもらおう。
私の身内も、病でかなり危ない時期があった。
その間は、ブログと向き合う心の余裕が一切なかった。
というか、ブログのことが頭からすっかり消えてた感じ。
そもそも私は、思い出話として過去の辛い経験をブログに記すことはあっても(それもほとんどないが)、現時点での個人の辛い思いをブログで吐露する気はない。
読者を、重苦しい気分にさせたくないからだ。
ただ、仮に私がそういうのも全てさらけ出すタイプのブロガーだったとしても、あの状況下で、はたしてブログを何度も更新できただろうか。
というのも、ブログは人様の目に触れるものなので、それなりに文章の体裁を整えなければならない。
その余裕がなかったと思うのだ。
どうしても文字にして思いを吐き出したいのなら、チラシの裏にでも「辛い」と何度も書き殴っただろう。
海老蔵も悲しくてたまらないはず。
しかし彼は役者であり表現者だ。
妻の亡くなった翌朝でも舞台に立ち、午後も舞台に立ち、その合間で、気丈に会見まで行った。
悲しみの中でも、気持ちを切り替えないと、成り立たない商売なのである。
ブログも、人様への「表現」のスタイルなので、自然と彼なりの「スイッチ」が入るのではないか。
素人の私みたいに、「文章の体裁を整える余裕が~」云々のレベルにない。
自然とスイッチが入る。
そして思いの丈を吐き出し、心の安定をはかっているのではないか。
と、私はこのように考えるのである。
ただ、子どもといる時は、スマホから目を離して、もっと子どもを見てほしい。
これからは特に、ね。
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