「小出が悪い」とか「相手も悪い」とか

「小出さんが悪いのは間違いないのですが」という前置きを必ず入れるのだ。

情報番組の司会者やコメンテーターが、小出恵介淫行事件について意見を言う際に。

私は「どちらが悪い」とか「どちらも悪い」とか、そういう心境にはあまり至らない。

ただただ「過酷だなぁ」という思いが強い。
何がって、小出の運命が。周囲へのウルトラ級の迷惑度も含め。

「自分のまいた種だ!自業自得!」とも思わないし、かと言って同情の気持ちも湧かない。

ただただ「過酷だなぁ」と。
「運命とは」「人生とは」みたいなことまで考えさせられる。

アメリカの大学生が北朝鮮に渡航して、政治宣伝ポスターを持ち去ろうとして捕えられ、その後、昏睡状態に陥ってアメリカに帰された件。

人体実験まがいのこと(あるいは拷問)をされたのであろうことが想像つくのだが、このアメリカ人の運命についても「過酷だなぁ」と思うのである。

このアメリカ人も小出も(同列に並べるのもナンだが)、自分たちの想像をはるかに超えた結末を迎えてしまったわけだ。

「ちょっとした出来心」とその「代償の大きさ」が全く釣り合わない。
アメリカ人青年にいたっては、命を取られたも同然だ。

私はこの種の出来事に慄然としがちである。
(例えばこの記事⇒「うっかり殺人」は日常に潜んでる

「バカだな~」の一言で片づける気にはなれないのである。

※関連記事・・・幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 小出ケースケのケーハク度

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