1984年のスターとその楽曲たち

この本(1984年の歌謡曲)、絶対買おうと思う。


1984年かぁ・・・確かにヒットチャート的に面白い年だったかも。

83年は「聖子vs明菜」の年で、84年はその戦いを明菜が制するものの、そんな明菜に新たな強敵が続々と出現した年なのだ。

最も強敵だったのはチェッカーズだろう。
いや、84年はチェッカーズの年だった、と言っても過言ではない。

『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』『星屑のステージ』『ジュリアに傷心』
・・・これらはどれも84年にリリースされた曲で、全てが60万枚を超える大ヒットとなった。

しかし、翌年最初にリリースされた『あの娘とスキャンダル』は、50万枚そこそこの売り上げとなる。

そう。人気歌手には「がくっとポイント」がつきものだ(何だそれ)。

ブレイクした状態はずっと続くはずがなく、必ずどこかで落ち着きを見せるものだ。
「落ち目」ではなく「落ち着き」ね。

「がくっとポイント」を迎えると、もうそれ以降はブレイク時のような売り上げが望めない。

中森明菜も、84~85年に『十戒』『飾りじゃないのよ涙は』『ミ・アモーレ』で3曲連続60万枚超の快進撃を遂げた後は、『サンドベージュ』で40数万枚という「がくっとポイント」を迎え、売り上げは落ち着いていく。

松田聖子も、83~84年の『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』『瞳はダイアモンド』『ロックンルージュ』の快進撃の後に、『時間の国のアリス』で「がくっとポイント」を迎えてしまい、それ以降は明菜に敗北し続けることになる。

話をチェッカーズに戻そう。

『あの娘とスキャンダル』はポップで売れ線の良曲なのに、どうして前曲の『ジュリアに傷心』から20万枚近くも売り上げを落としてしまったのか、私には解せない。

ひょっとして、と思う。

この曲で、彼らの衣装がチェック一辺倒ではなくなり、フミヤの髪型も「フミヤカット」ではなくなったかも。
もしやファンや世間が、それで一抹の寂しさを感じたのではあるまいか。

そしてフミヤは、小泉今日子との交際が噂された頃じゃなかったっけ。
それでファン離れが進んだとか?

そんな外的要因があったとしか思えない。
もっと売れてもおかしくない曲だと思うから。

それとも、ホントに84年だけでお腹いっぱいになっちまったの??

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