聖子は無冠の女王?

聖子は新人のときの賞レースでは、ことごとくトシちゃんに負けていた。
トシちゃんに、というよりは、事務所(ジャニーズ)の力に負けていた。
レコード売り上げも人気も実力も負けてなかったのに。

最優秀新人賞もそうだが、レコード大賞も取れずじまいだった。
何故かあの時代は、演歌歌手がレコード大賞をもらっていた。
「アイドル歌手なんかに、やってたまるかよ」・・そういう時代。

明菜ファンが「明菜は2度もレコード大賞をもらってる。聖子なんか一度ももらってないじゃ~ん」と言うが、それは筋違いだ。
ちょっとした時代の差なのだ。聖子はそれで涙を飲んだ。

私としては、ぜひ83年に取らせてあげたかった(← 何者?)。
脂が乗って、最高潮にスパークしていた「SWEET MEMORIES」「瞳はダイアモンド」の頃。

しかし時期的に間に合わず、賞レースに臨んだ曲は「ガラスの林檎」。
「ガラスの林檎」じゃ弱い! レコード大賞にふさわしくない。 聖子らしさもない。

だが「SWEET MEMORIES」もある意味、実験的な曲である。
初めてジャジーな曲を聖子に歌わせてみたのだ。
だからまずは「ガラスの林檎」のB面に入れたのである。

「瞳はダイアモンド」での受賞が一番しっくり来るのかなぁ。

あくまでも個人的な意見だが、聖子のスパーク曲は「瞳はダイアモンド」である。
スパーク曲って、そうね、言ってみれば「その人のモノになってる曲」。
その歌手がいなかったら、その歌は生まれなかったんじゃないかって思えるほど。
歌がその人にハマってるから、大ヒットもするし。

山口百恵なら「プレイバックパート2」。
中森明菜なら「飾りじゃないのよ涙は」。

「涙はダイアモンド」と歌う聖子と、「ダイヤと違うの涙は」と歌う明菜と・・。

コメント