原作と脚本のはざまで ~ある漫画家の死~

終わったはずのドラマが場外でくすぶり続け、最悪の結末を迎えた。

私は、そのドラマに興味はありつつも、結局一度も視聴しないままであった。

そこまで高視聴率というわけではないものの、視聴者満足度の高いドラマのように見受けられた。

今回の件で原作者と脚本家、双方の言い分で印象的だったのは、
原作者「素人の私が見よう見まねで書かせていただいたので、私の力不足が露呈する形となり
脚本家「最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします
・・って部分。

どちらともから強烈に伝わってくるのは、ドラマの結末が視聴者から酷評されたんだなってこと。

あと私が驚いたのは、原作の漫画が未完結だったってこと。
(確か『ガラスの仮面』も、漫画が未完のまま実写化されてたか。。)

いろいろと最初から無理があったんじゃないかと。

実写化って、いろんな人の思惑が絡まり合って意外とややこしい事態になったりするもんなんだなーとあらためて。

しかも最近の連続ドラマって10話モノ(もしくはそれ以下)が多いでしょ?
おそらく昔に比べて少ないんだよ、回数が。

回数を少なくした方が打ち切りがバレない(!)という利点があるから・・ってな噂も。

なのに何巻も出てるコミックを原作として、10話にまとめようとするから無理が出てくる。

私が最近観てたドラマも漫画が原作なんだけど、おそらく原作に忠実であろうとして、9話の中にかなりの要素が詰め込まれて少々不自然だった。

原作者である漫画家から注文があったのかは知らない。

ただ、原作者の中には、自分の作品へのこだわりや愛着が強いタイプとドライなタイプがいると思う。

私の好きな作家で、作品がドラマ化も映画化もされてる人がいるが、エッセイでこんなことを言っていた。

「内容が作品に忠実ではなくオリジナルな部分が多かったので、『へー、こうなるのか』と全く新しいドラマとして観ていた」
「プロデューサーが、脚本に手直しが入るたびに逐一報告してくれたが、私は全て任せたのだから好きにやってもらって構わない」
「映像は自分にはわからない分野のことだし、門外漢があれこれ口を出すのもどうかと思った」
「ほとんど傍観者として映画の完成を楽しみにしていた」
「私のイメージでは木造の古い建物だったのだが、映像ではきれいでお洒落になっていた。『なるほど』と感心」

・・だから今回みたいに「納得いかなければ自分で脚本を執筆するよ?」とまで言う原作者(この件では漫画家)がいたことに、ちょびっとカルチャーショックを受ける私。

どっちがいい、悪い、じゃなくて、価値観ってホントに人それぞれだなーと。
で、相手の価値観を理解してあげてないと、こんな最悪の事態を招く恐れもあるんだなと。

過去の事例を調べてみると、作家より漫画家の方がこのテのトラブルに遭遇してる感じ。
絵も描くことで、完全にイメージが出来上がってるしなぁ。
そりゃ、よりいっそう「原作に忠実に!世界観を壊さないで!」って思うだろう。

結局は自分の描写がベストなんだろうし。

テレビ界や映画界は、漫画の実写化をあまり安易に考えないことである。

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