投稿

6月, 2017の投稿を表示しています

私にとっての「藤井君」

世の中、藤井君フィーバーである。 しかし私にとっての「藤井君」は、将棋界の藤井君ではない。 バレーボール界の藤井君である。 元々私は、国内リーグの東レチームのプレーが好きで。 選手が職人ぽくてね、派手さはないけど、技巧的なのよ。 今季は優勝までしちゃった。 で、優勝したこともあってか、東レの選手がたくさん全日本入りしてね。 その中の一人が、セッターの藤井選手(25歳)なわけ。 その藤井選手、雑誌で「選ばれた時はすごく嬉しくて、プレッシャーも全くなかったです」と言っていた。 すげー。プレッシャーが全くないって・・大物だなぁ。 最初は控えセッターとして全日本入りしたものの、メキメキと頭角を現し、今じゃ正セッターとしてプレーしてる。 トスワークが多彩なのよね。 今まで正セッターだった深津選手は、あまりミドルを使わなかったからね。 サイドばかり使ってると、攻撃も読まれがちになるし。 藤井選手はミドルをガンガン使う。 背の低い日本は、相手がブロックを仕掛ける前に、ミドルのクイックで攻撃する必要があるもの。 同じく全日本入りした東レの李選手(ミドル)とのコンビが、やはり一番合ってる。 李選手は、私が東レで一番注目してた選手なんだよなー。攻撃、はえーの。 今回のワールドリーグバレーでは、日本は準優勝という快挙を成し遂げた。 とは言っても、2部グループでの準優勝。強豪国は1部グループに勢ぞろい。 それでも去年は、2部の中で最下位に近い成績だったからねー。 去年は、男子バレー的にいろいろ最悪だったのよね。 五輪の切符は逃すしさ。 一昨年が良かっただけにね。 石川選手と柳田選手の活躍で、ワールドカップでも好成績を残したしね。 で、このままリオ五輪までいけー!と思ったんだけどねー。 去年は、石川&柳田の不調、というのもあったけど、まずメンバー選考的に「こりゃアカン」と思ったね。 風通しの悪そうなチームになるな、と思った。そしたら案の定ズタボロで。 ワクワクしたりガッカリしたりの繰り返し。 そしてまた今はワクワク。 藤井選手は、このワールドリーグでベストセッター賞もらってた。 セッターとかリベロって、ちゃんとやれて当たり前で、良くない時には叩かれがち。 なかなか厳しいポジションだな、とも思う。

「海老蔵ブログ更新しすぎ」批判に対する私の見解

「批判」というよりも「不思議」なんじゃないかなー。 奥さんが亡くなったばかりなのに、何度もブログを更新することが。 全く規模は違うが、同じブロガーとして、私の経験を語らせてもらおう。 私の身内も、病でかなり危ない時期があった。 その間は、ブログと向き合う心の余裕が一切なかった。 というか、ブログのことが頭からすっかり消えてた感じ。 そもそも私は、思い出話として過去の辛い経験をブログに記すことはあっても(それもほとんどないが)、現時点での個人の辛い思いをブログで吐露する気はない。 読者を、重苦しい気分にさせたくないからだ。 ただ、仮に私がそういうのも全てさらけ出すタイプのブロガーだったとしても、あの状況下で、はたしてブログを何度も更新できただろうか。 というのも、ブログは人様の目に触れるものなので、それなりに文章の体裁を整えなければならない。 その余裕がなかったと思うのだ。 どうしても文字にして思いを吐き出したいのなら、チラシの裏にでも「辛い」と何度も書き殴っただろう。 海老蔵も悲しくてたまらないはず。 しかし彼は役者であり表現者だ。 妻の亡くなった翌朝でも舞台に立ち、午後も舞台に立ち、その合間で、気丈に会見まで行った。 悲しみの中でも、気持ちを切り替えないと、成り立たない商売なのである。 ブログも、人様への「表現」のスタイルなので、自然と彼なりの「スイッチ」が入るのではないか。 素人の私みたいに、「文章の体裁を整える余裕が~」云々のレベルにない。 自然とスイッチが入る。 そして思いの丈を吐き出し、心の安定をはかっているのではないか。 と、私はこのように考えるのである。 ただ、子どもといる時は、スマホから目を離して、もっと子どもを見てほしい。 これからは特に、ね。

対照的な2人の女性のお話

闘病中、家族に何もしてあげられないことに心を痛めていたMさん。 「お前が受けた痛みが何だ!私が受けた痛みがどのくらいか分かるかコノヤロー!」と言うTさん。 「いいんだよー。Mちゃんは生きててくれるだけでいいんだよ。ただ、いてくれればいいの。なーんにもできなくていいんだよ」と、姉に言われるMさん。 「お前の娘をひき殺して『そんなつもりじゃなかったんです』って言われてるのと同じ~あぁそれじゃしょうがありませんね~そんなつもりなかったんならしょうがありませんね~そんなつもりがなかったら~そんなつもりがなかったらいいの~?」と、歌うTさん。 「5年後も10年後も生きたい」と、家族のために懸命に生き抜こうとしたMさん。 「ぐじゃぐじゃになってひき殺されてみろ」「死ねば?生きてる価値ないだろ」と言うTさん。 2人とも、幼い娘と息子を持つ母親。それだけが共通点。2人の間に接点はない。 Mさんの方が、亡くなっちゃった・・ お姉さんの言葉、泣ける。 元々、「病的に妹のことが好き。Mちゃんのためなら命も差し出せる」と公言してたお姉さん。 大丈夫かなぁ・・ ※関連記事・・・ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 麗しき姉妹愛を目の当たりにして          幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 豊田議員の恫喝音声が完全にホラーな件

豊田議員の恫喝音声が完全にホラーな件

あんなことばっか言ってるから顔も鬼っぽくなるのかな。 自民党の豊田真由子衆院議員(→即日離党届提出)。 まさに常軌を逸した口調で、秘書を恫喝しまくっていた。 節をつけて歌うように罵るのも相当気色悪かった。 もうあれ、イカれてるだろ。 彼女が、表の顔と裏の顔があるタイプの人間だとするなら、そういう人間は、裏の顔が公になるのが、死ぬほどイヤなはずである。 解せないのは、東大出身で(学歴詐称でなければ)、なぜあんな汚い言葉を使うのか、ということだ。 教養があるはずなのに、という意味ではない。 そういう汚い言葉が飛び交う家庭で育たないと、あんな言葉を舌に馴染ませることなんてできるはずがなく、そんな家庭はまともであるわけがないので、東大に入れるような子は育たない、と思うからだ。 久しぶりに見たな、あんなヒステリー女。 いや、ヒステリーという次元をを超越してたが。 ヒステリーで思い出すのは、小学校時代の女性教師。 別のクラスの担任だったが、音楽の授業はうちのクラスに教えに来てた。 うちの学校だけかもしれないが、男性担任は女性担任のクラスの体育の授業も受け持ち、代わりに女性担任は男性担任のクラスの音楽の授業を受け持ってた。 年齢は、今の豊田議員ぐらいだったのかなー。 もう、ヒステリーでヒステリーで、子どもたちが皆、恐れおののいて。 人間性も狂ってて、トイレットペーパー(多分校内の備品)を教室に持ち込んでは鼻をかみ、そのゴミを床にポンポンと落としたまま教室をあとにするのである。 クラス全員の前で「A子ちゃんは、胸がぺったんこ」と罵っては高笑いしたこともあったっけ。 まぁ、とにかく、今だったら即刻処分を受けるような教師だったのである。 ある日、その教師が私のクラスで「◇◇という曲、好きな人いる?」と呼びかけた。 その曲は当時、流行ってはいたが、子どもが好むような曲ではなく、大人仕様の曲であった。 私はその曲が割と好きだったので手を挙げると、困ったことに、挙手したのは私一人だけだった。 するとその教師が気持ち悪い笑顔で歩み寄ってきて、「この曲が好きな人は、ロマンチックな人が多いんだって。だからあなた、詩を書いてきて」と、無茶ぶりするのである。 さー困った。 私は当時も今も、詩を書くことが恥ずかしい。 国語の

墓穴掘って本性ダダ漏れの大島優子

AKB総選挙の場で結婚宣言した20歳のメンバーに対し、元AKBの大島優子が動画で苦言を呈し、海外版放送禁止用語とでも呼ぶべき英単語の書かれた帽子を、「自分の気持ち」として示した件。 この件を取り上げるのも、ホントはヤなんだけどね、低俗すぎて。 (え?このブログと同じだって?・・・へいへい) 動画は見てないが、帽子の写真を見たとき目がテンになった。 アッカ―ン、これアカンやつやで! で、彼女はその動画で、「総じて言いたいのは、この帽子がきっと、私の言葉のすべてだと思う」と言っていたらしい。 ・・・日本語、おかしくないか? 何かやたらと「総じて」を連発してたらしいが、もしかして覚えたての言葉? だからおかしな使い方になってんの? ひょっとして、この人のダメな点って、言葉の持つ意味や用法をちゃんと理解してないまま、軽はずみに使うとこなんじゃないかなー。 例の英単語だって、かなりヤバい意味だとも知らずに使っちゃう。 何となくカッコ良さげだし~、という理由で使っちゃう。 ま、そもそもその、場違い発言した20歳のコに苦言を呈したことについても、 オマエがゆーな。 であるが。もうAKBを卒業してて部外者だから、という理由だけではない。 だって過去にアンタも同じようなことしたやないのッ。 参照記事⇒ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: NHKはこの事態を想定していたのか!? 今回の言動は、タレントとしてかなりのダメージ。 イキってしゃしゃるとロクなことにならん×× あの帽子の言葉(「くそったれ」的な)が、ブーメランのように自分に返ってきちゃうなんて、皮肉よね。。

「小出が悪い」とか「相手も悪い」とか

「小出さんが悪いのは間違いないのですが」という前置きを必ず入れるのだ。 情報番組の司会者やコメンテーターが、小出恵介淫行事件について意見を言う際に。 私は「どちらが悪い」とか「どちらも悪い」とか、そういう心境にはあまり至らない。 ただただ「過酷だなぁ」という思いが強い。 何がって、小出の運命が。周囲へのウルトラ級の迷惑度も含め。 「自分のまいた種だ!自業自得!」とも思わないし、かと言って同情の気持ちも湧かない。 ただただ「過酷だなぁ」と。 「運命とは」「人生とは」みたいなことまで考えさせられる。 アメリカの大学生が北朝鮮に渡航して、政治宣伝ポスターを持ち去ろうとして捕えられ、その後、昏睡状態に陥ってアメリカに帰された件。 人体実験まがいのこと(あるいは拷問)をされたのであろうことが想像つくのだが、このアメリカ人の運命についても「過酷だなぁ」と思うのである。 このアメリカ人も小出も(同列に並べるのもナンだが)、自分たちの想像をはるかに超えた結末を迎えてしまったわけだ。 「ちょっとした出来心」とその「代償の大きさ」が全く釣り合わない。 アメリカ人青年にいたっては、命を取られたも同然だ。 私はこの種の出来事に慄然としがちである。 (例えばこの記事⇒ 「うっかり殺人」は日常に潜んでる ) 「バカだな~」の一言で片づける気にはなれないのである。 ※関連記事・・・ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 小出ケースケのケーハク度

ブログ1000記事達成しました!

今回で1000記事目となります。 そして、今月でブログ開設7周年を迎えました。 小学生の頃、自分で日記帳を買って日記をつけたことがあるのですが、正真正銘の「三日坊主」で終わってしまいました。。 私、誰かに読んでもらわないと満足しないタチのようです(苦笑)。 複数の友人たちと交換日記はしてました。 手紙を書くのも大好きでした。 思考の言語化が好きなのよね。 周囲にブログをやってる人が何人かいたけど、皆あっと言う間にやめちゃって。 私だってさ、継続すればするほど読者も増えると信じてやってきたけどさ、なかなかそう上手くもいかないワケで。。 何だかダラダラ7年やってきちまったかな~、という思いがせんでもない。 長くやってきたからこその発見もある。 「あーあーあの時の記事のー!」みたいな(なんだそれ)。 例えば、この記事(⇒ 役者転身をおススメしたい芸人 )で語られている無名芸人は、今や人気お笑いコンビとなった「メイプル超合金」の安藤なつである。 私は未だに、彼女はお笑いより役者が向いていると思ってる。 てか、その記事・・・また小出恵介のことに触れてるわぁ(笑)。タイムリー。 こんなに嫌悪感を抱いてたのね。何かを見抜いてたのかしら、私(笑)。 で、彼女がドラマで演じたナンシー関氏について。 私がブログで滝沢秀明のことをメロンに例えて表現したら、数年後、誰かがナンシー語録として挙げていた。 あのー、それ言ったの、私なんスけどぉ。。 ⇒ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 「永遠の17歳」タッキーの苦悩 ナンシー関氏は、メロンが旬の頃にお亡くなりになって、腐りゆく様など知る由もないのだから。。 まぁ、いろいろあります、わりと長くやってるものですから。 そりゃ、タッキーだって白髪染めのCMに出るようにもなりますってー(笑)。 というわけで、今後ともいっそうのお引き立ての程、よろしくお願いいたします。

芸能人のマスクがムカつく

とある番組で、外出先(プライベート)での芸能人の様子が映されてたんだけど、どいつもこいつもマスクをつけてた。 このムシムシした6月に。 前々から感じてたんだけど、有名人のプライベートでのマスクって何故かムカつく。 変装用としてなら、サングラスなんかもあるわけだが、それにはムカつかない。 それはどうしてだろうって考えた。 サングラスからは「バレたくない」という思いだけが伝わってくるが、マスクからは「バレたくないし、バレても絶対対応しないからな」という拒絶の気持ちが伝わってくるからか。何せ口をふさいじゃってるんだもの。 だから全員もれなく性格が悪く見える。 一昔前までは、マスクはもっと特殊なものだった。 何せ目立つものなので、風邪を引いてたとしても、マスクをつけるのに躊躇する人は多かった。 それが今ではどうだろう。 普段使いする人が多くなり、冬じゃなくても、いたるところでマスク姿の人を目にするようになった。これは海外から見れば異様な光景なのだそう。 芸能人たちが「これ幸い」と思ってマスクをつけていそうで、よりムカつく。 車を運転する前に睡眠薬を飲んで警察の事情聴取を受けたインパルスの堤下が、警察署を出て車に乗り込む際、大きなマスクをつけて携帯で電話していた。 マスクだ。リポーターから何を聞かれても対応しないぞ、という意志表示だ。 それだと印象悪くて叩かれるだろうから「電話中」も装ってみた、というカンジ。 会見では真摯に謝罪していたけれど、その直前の印象が悪過ぎて、どーも白々しく感じる。 マスクやめな? 性格悪いのがバレるよ?

小出ケースケのケーハク度

世間は小出恵介にどんなイメージを抱いていたのかなぁ。 メディアで言われてるような「さわやか好青年イケメン俳優」というイメージ?  私が小出を初めて知ったのは、誰だったか女性芸能人の交際相手として。 その時点では顔も知らない。名前を聞いただけ。 ま、入りがそれ(女絡み)だったもんで、今回の件もそれほどのギャップはない。 あそこまで派手に遊んでいたとは知らなんだが。 顔と名前が一致したのは、あるドラマを観てから。 彼の演技、好きじゃなかった。 このブログ記事(⇒ ガッカリ演技はドラマを台無しにするね )にも書いてるが、単純に言ってしまえば、「カッコつけ」な演技だったからだ。 その後、たまたま彼の高校の卒業写真を目にする機会があり、ド肝を抜かれた。 「グレてる」とかそういう次元を超越した、とにかく「まともじゃない」髪型をしていた。本性はこうなんだな、と思った。 とにかく彼に対しては、「さわやか」だとか「好青年」だとか、そういうイメージは持ってなかった。 今メディアでは、彼の「裏の顔」として、クズエピソードが続々と報道されている。 飲み会で、お笑い芸人を呼び出しては「何か面白いことやってよ」「全然つまんねーよ」と毒づいてたってのも、なかなかのクズっぷりである。 お笑い芸人に「お得意のネタ、やってくださる?」とけしかけ、ネタ披露後「へー、それが面白いと言われてるんですか・・」とシラける黒柳徹子を思い出した。 徹子だから許される。 悪意など微塵もないことを誰もが知ってるから。

続・1984年の歌謡曲を堪能す

イメージ
( 前回 からの続きだよ) 前回は中森明菜の飛躍について書いたが、1984年は、小泉今日子飛躍の年でもあった。早速、『1984年の歌謡曲』の中から引用させてもらおう。 「 84年、小泉今日子がピークに達している。『渚のはいから人魚』が33万枚、『迷宮のアンドローラ』が38万枚、『ヤマトナデシコ七変化』が41万枚、そしてこの曲が37万枚。あの『なんてったってアイドル』ですら28万枚なので、この84年が、80年代の小泉のピーク。この84年の4曲のシングルを眺めれば、『渚のはいから人魚』からこの曲へ、あるグラデーションが感じられる。つまり、男性への目線から女性への目線へ。男の子のアイドルから、女の子のシンパシーも吸収する、新しい形のアイドルへ。 」 ( 小泉今日子 『 スターダスト・メモリー 』) ⇒小泉今日子は、前年に髪をショートにしてイメチェンした時点で、女の子のファンをある程度獲得できていた。 が、さらにこの『スターダスト・メモリー』で失恋した女の子の心情を歌って、同年代の同性ファンを一気に増やした感がある。 それは、松田聖子にとっての『赤いスイートピー』に相当する。 それにしても『迷宮のアンドローラ』の売り上げがここまで高いとは・・・嫌いじゃないけど、結構地味だぞ? ま、それほど84年の小泉今日子は勢いを持っていた、ということだ。 小泉今日子や中森明菜がアイドルとして独自の進化を遂げ、独自の世界観を繰り広げてスパークした1984年。 そして、前年にデビューしたチェッカーズも、一気にブレイク。 以前ブログ(⇒ 1984年のスターとその楽曲たち )にも書いたが、何と言っても、1984年はチェッカーズの年。 この本の著者のスージー鈴木氏も、同じことを言った上で、こうも言っている。 「 1984年は、売野雅勇の年だった。 」 そう。1984年のチェッカーズのシングル曲の歌詞は、全て売野氏によるものだ。 何もチェッカーズだけを手掛けたのではない。 元々は中森明菜の楽曲を手掛けたことで頭角を現した人だ。 特に1984年は、人気歌手の楽曲を次々に手掛け、ヒットを飛ばした。 とうとう、チェッカーズ人気に押された近藤真彦までもがすがってきた。 売野氏作詞の『ケジメなさい』は、マッチにとって久々の大ヒットとなった。 その時のマ

1984年の歌謡曲を堪能す

イメージ
『1984年の歌謡曲』を読了。 いや~、中身が濃かった。 これをシリーズで出されると、私、全部買ってしまうんでないかい? でもやっぱ1984年の楽曲って特にキラキラしてる。 別にこれを読んだから言ってるワケじゃないよ? 著者のスージー鈴木氏は、本書の中でこんなことを言ってる。 「 84年とは、日本の大衆音楽が、最も都会的で、最も洗練されていて、そして、最もおしゃれだった時代ではなかったか。適度に軽く、適度に重い。適度に洋楽的で、適度に邦楽オリジナル。 」 ・・・もう、その表現につきると思う。 ささ、他にも印象的だった部分を抜き出し、私なりの見解も付け加えさせてもらうことにしよう。 「 何がとんでもないかというと、作曲家の人選と、曲のタイトル=楽曲のコンセプトを決定する、要するにプロデューサーの役割を、20歳にも満たない女性アイドル歌手が務めあげ、結果、オリコン年間9位の大ヒット曲を生み出したということが。 」( 中森明菜 『 北ウイング 』) ⇒明菜がこの曲のタイトルを決めたことは知っていた。確か、元のタイトルは『ミッドナイトフライト』だったはずだ。悪くはないがインパクトに欠ける。今となっては『北ウイング』で大正解である。 彼女が作曲家(林哲司氏)を自ら指名したのは知らなかった。 要するに『北ウイング』は、明菜なくしては絶対生まれることのなかった曲なのだ。 私は、明菜にとっての『北ウイング』を、山口百恵にとっての『横須賀ストーリー』だと位置づける。歌手として一皮むけた曲だからである。 歌的にはツッパリ路線と純愛路線を繰り返していた明菜だが、そのままそれを続けていけば飽きられる。『北ウイング』は、「新生 明菜」としてのいい突破口となった。 偶然だが、『横須賀ストーリー』も、山口百恵が阿木燿子&宇崎竜童夫妻に制作をお願いしたのだという。 そして、山口百恵にとっての『プレイバックPart2』は、明菜にとっての『飾りじゃないのよ涙は』である。もう、なんちゅーか「モノにしまくってる」「サマになりまくってる」といったカンジ。完成形というか集大成的なものを感じる。 『北ウイング』も『飾りじゃないのよ涙は』も、1984年の楽曲。 ヒットを連発しただけじゃなく、明菜がアーティストとして大いなる飛躍を遂げた年・・・それが1984年なのであ

キムタク、どこでも安定の俺様感

カンヌ映画祭のレッドカーペットで、振袖姿の杉咲花ちゃんに見向きもせずに、ズンズン先を歩いて行ったことが批判されてるキムタク。 先、歩くよね~。 映画PRでどっかの高校の体育館に出演者一行が現れた時も、体育館に入るなり、先頭切って一人ズンズン進んで行った。 でも女子高生たちの視線は、その後ろを歩く福士蒼汰に注がれてた(苦笑)。 かと思えば、Mステ等の登場時に、最後尾で出てくることもよくあった。 わざとゆったり、他のメンバーたちとは距離を取って。 いずれにしても、目立ちたくてたまらない人なんだな~と思う。 そう。カンヌでも「レディファースト」ならぬ「俺様ファースト」。 キムタクにとっては、ポケットに手を突っ込んで颯爽と階段を上って行くことこそがカッコいいこと。 以前ブログ(⇒ キムタクがケムたがられるワケ )にも書いたが、やはり彼の思う「カッコ良さ」は、世間の思うそれとはズレてる。 親子ほど年の離れた未成年女優が慣れない着物で長い階段を上っているというのに、一度も気に留めないなんて、やっぱちょっとどーかしてる(監督もだけど)。 自分のことで頭をいっぱいにしてるのは、大人の男としてカッコ良くはない。 それともすっげー舞い上がってたの? それもそれでカッコ良くない。 でも、この年までそれで来ちゃったんだもの、もうダメだぁ~。 今後もいろいろズレたまま進んで行くしかないのだろう。。

裸芸が裸夢の悪夢を呼び起こす?

何だか芸人の芸が、極端で雑になってる気がする。 大声で叫ぶだけの「サンシャイン池崎」。 強く叩いてツッこむだけの「カミナリ」。 「~だけの」と言ってしまっているのは、私がネタを味わってないから。 味わう気すら奪われるのよね、声とか動作で。 あと、真っ裸になって股間を隠すだけの「アキラ100%」。 ガキ使年末特番での、ああいう使われ方ならまだいいのだ。 あの番組には、キワモノが出るか、キワモノとして出るか、しかないんだから。 でも今年に入って、バラエティ番組なんかにたくさん出るようになって。 ヒナ壇に、その他の芸人たちと一緒に座ってると、強烈な違和感が。 「とにかく明るい安村」なら、そういう場ではパンツの一部分が見えてたりするのだが、アキラはお盆を載せてるものの、もろ全裸。 シュッとした体型とも相まって、座ってる(ネタ中でない)間はお笑い要素ゼロ。 要するに、裸の変質者がそこにいるだけ、みたいな画になっててギョッとしたのだ。 ところで私はかつて、自分が全裸で走り回る夢をよく見てた。 本人的に気持ち良ければまだいいのだが、夢の中の私はひどく恥ずかしがっている。 何故だか身ぐるみはがされてる私は、人目のある街中やデパート内を、前かがみになりながら駆けずり回るのだ。 とにかくイヤな夢なんである。 何だかその感覚が思い起こされて、余計アキラにギョッとするのかもしれない(苦笑)。